高校の2年の春、廊下を歩いていたら見知らぬ先輩に話があると声をかけられた。なんの話なのかなと思ったら、その人は、生徒会の選挙管理委員長で、私に、生徒会長に立候補してほしいというのである。どうして、学内でこれといって目立った活動もしていない、成績も中の下の自分にそんな依頼がくるのか。わけがわからなかったが、話をきいてみると――現在、生徒会内では、クラス代表の塚原を中心とするグループが、職員室と連携して、選挙戦に立候補することなく、生徒会長代行となるべく計画が進められているとか。誰も生徒会長選に立候補する者がいない場合、クラス代表の中で互選して生徒会長代行を決めるという生徒会規定があり、その規定を用いて、自ら、選挙というリスクを負わずに、生徒会を自分たちで取り仕切る計画が進行中らしい・・・
選挙管理委員長は、その企てを阻止したいのだそうだ。
「阻止さえすればそれでいいんですね」
ということで、私は承知した。
当初、選挙管理委員長の話では、私のほかには立候補者がいないから、選挙といっても、信任投票になりこれは楽勝ということだったが、実際には、私が届け出をだした直後に、塚原陣営が対立候補を急遽擁立したため、ガチの選挙戦に突入することになった。
当初なかったはずの選挙戦は、私という駒が置かれたことで、想定外の形へと変質していくことに。
――塚原。その名は、学内模試のトップ常連として周知の存在だった。しかし不思議なことに、彼女自身は立候補しない。その理由を友人に尋ねると、「あいつは、自分が『がり勉』と陰口を叩かれる人気のない存在だと自覚しているからさ」という答えが返ってきた。そんなものだろうか。しかし、彼女が立てた対立候補の不動は、育ちの良さを絵に描いたような人物のようで、これといった特徴もないように見えた。
この選挙戦を通じて、私はおそらく生まれて初めて、社会の縮図というものを目の当たりにすることになる。
まず、私の立候補を知った担任教諭からの叱責が、その洗礼だった。「なぜ事前相談しなかったのか」という建前の裏には、もっとやるせない事情があった。後に知ったことだが、職員室は英語科の生徒会担当教諭を筆頭に、塚原支持で固まっていたのだ。そこに無名の新人が現れたことで、担任は職員室内で「クラスの生徒すら把握できていないのか」と肩身の狭い思いをし、嫌味を言われたのだろう。――すまなかったね、担任君。
そこには明確なヒエラルキーがあった。英数国といった受験科目を担当する教諭が権力を握り、体育や音楽、美術といった芸術系教諭は校舎の隅に追いやられ、発言権を抑え込まれていた。塚原はこの強固な「職員室連合」と結託していた(おそらく)。案の定、選挙活動の要である印刷機や放送設備は彼らに押さえられ、私は一切のアクセスを断たれた。まあ、最初からそういうことを期待などしていなかったが、随分と露骨に不公平な扱いをするものだなあとは思った。
そんな私がなぜか自然と相談に向かったのは、1年の時に担任だった体育の竹本先生だった。入学以来、ずっと帰宅部だった私が、体育系の部活を通じて選挙活動を行う許可を求めて教官室を訪ねたときのことだ。竹本先生の隣にいた、それまで一度も話したことのない、勝谷先生が、私を見てこう言った。「是空、おまえは弁が立つ」――その時は意味が分からなかった。だって、勝谷先生とは一度も話したことなかったからね。しかし、今なら分かる。学校の隅で脇役に甘んじている彼らにとって、職員室と結託した塚原陣営は、鬱屈した不満の対象そのものだったのだ。私の立候補は、彼らにとっても溜飲を下げる絶好の機会だったのだろう。
結果として、この選挙は、すこし大げさに言えば、「職員室の受験科教諭」対「職員室外の芸術系教諭」という、権力闘争の代理戦争と化した。
私自身、この選挙に勝つ必要はなかった。仮に負けたとしても、立候補した時点で「選挙を行わず会長を決める」という抜け穴は塞がれており、選挙管理委員長との約束は果たされていたからだ。無名の自分を取り立ててくれた委員長への義理を果たせば、それでいい。
しかし、投票結果は、意外なことに私の圧勝で終わった。理由は分からない。ただ、全校生徒の前で行った演説で、私はこう言い放った。
「生徒会は、本来、生徒のものであるべきだ」
「もし仮に、職員室の意向を汲んだ一部の優等生が、自らは選挙戦に出馬することなく、代行制の規定を用いて生徒会を運営することがあれば、それは、生徒会存立の趣旨に反しているのではないか」
「今回の選挙では、皆の力で、死んだ生徒会を取り戻そうではないか」
そこには、本来あるべき当選したら何をするかという公約など一つもなく、ただ職員室からの自立を宣言しただけだった。それでも、日頃から校則や制服に縛られている生徒たちにとって、私のメッセージは強く響いたのかもしれない。もう一つの大きな勝因は、私の応援演説を引き受けてくれた3年の前生徒会長の存在だったと思う。そもそも自分は学内でも、一匹狼的な存在だったから(実際には単なる野良犬だったのだが)、応援演説を頼める格上の友人などいなかった。そこで、選挙管理委員長になんとかしてくれないかと頼んだら、これまで会ったこともない穏やかな感じの先輩が私の前に姿を見せて、俺に任せておけと、言ってくれた。対立候補の不動の応援演説は、2年の塚原がやっていたから、学年が違えば親しみもわかないだろうし、少なくとも3年生の票の多くは、私の方に流れたのだと思う。
生徒会長の任期は半年だった。私が3年になる春に退任した後、卒業までの間に、あと二度の選挙戦があったが、いずれも塚原と私がそれぞれの候補を応援する代理戦争となり、結果は私の三戦三勝だった。そのことが私にとって良かったのかどうかは、今も分からない。ただ、少なくとも、いろいろな意味で、その後の人生に影響を与える経験だったことは確かだと思う。

次回は暗黒の予備校編?? #こちらの投稿は後日に「未来からの約束」に移動します。