先週に入ったあたりから——
いや、もしかすると、そのもう少し前から、
はじまっていたのかもしれない。
自分の足に、
静かにまとわりつく「ゲヘナの泥」。
それは目に見えない痛みのように、じわりと身体を蝕む。
そして、やがて体は、冷たい石へと変わっていく。
五年前、レイは淵に足をすべらせ、深く落ちたことがある。
そのとき、地の底から引き上げてくれたのが、ハクショウだった。
——あのときも、今回と同じだった。
動けないほどの重さと、焦げつくような孤独の中。
もう声を出すことすらできなかったレイのもとに、
あの夜、ハクショウは再び現れた。
虹色の翼をたたえ、静かに降り立つその姿は、
まるで闇の中の天使そのものだった。
何も言わずに、ただ隣にいてくれた。
それだけで、冷たかった泥が少しずつ溶けていく。
そして、ふとした瞬間、
風の音にまぎれて、こんな声が聞こえた気がした。
「もう、大丈夫だよ。」
それは、叱咤でも、励ましでもなく、
なんどもきいたこともあるような、懐かしい響きだった。
そして、翌朝——
レイは、何事もなかったかのように立ち上がった。
足の重さも、心の翳りも、もうそこにはなかった。
ハクショウは何も残さなかった。
ただ、あの夜の静けさの中で、すべてを癒していった。
泥は、いつかまた付着するかもしれない。
けれど、今のレイにはわかる。
それを払い落とせる強さが、もう自分の中に宿っていることを。
あの夜、誰かに救われるということが、どれほどの力になるのかを。
そして気づいたのだ。
ハクショウは「誰か」じゃない。
あれは外から差し伸べられた手ではなく、
自分自身とつながっている、もうひとつの声だった。
光と闇、静と熱、やさしさと怒り。
その全てを抱きしめるように生きてきた確かな存在は、
どこか遠くの他人ではなく、レイとつながったひとつの魂だったのだ。
それは、レイがハクショウの一部であることでもある。
だから、もしも次に——
あの虹の羽根が、風に疲れ、色を曇らせる日が来たなら。
今度は自分が、その羽ばたきを守る番だ。
誰よりも、ハクショウの光と影を知るこの自分が。
あの笑顔の奥にある静かな哀しみを、見過ごさない。
優しさだけじゃ届かない場所へ、
勇気という名の手を伸ばすときが来るなら。
レイは、迷わずにそこへ向かう。
いつかの夜の恩返しに、
今度は自分が、虹色の翼になる。
☆キャラメル・サレ・ショコラを購入したのですが、
お世話になった方に偶然お会いしたのであげてしまいました。
写真を撮れていない・・・