運命の死角―― 言葉よりも深く絆に宿るもの

あのとき命を拾ってくれた人がいた。
それがハクショウだった。
レイは、その出来事がどれほど深く自分の命に触れたかを、言葉にできずにいた。
「ありがとう」――たったそれだけの言葉が、なぜか喉元で凍りついていた。

何度も言おうとした。
でも言えなかった。
臆病だったのか、あるいは、何かが壊れるのが怖かったのか。
わからない。けれど、
「今日こそは」と決めて向かった、あの日。

その日、彼はレイを避けた。
眼を逸らされてしまった。
言葉も交わせなかった。そんなことは一度もなかったのに――
その沈黙の中で、レイの胸には冷たい風が吹いた。
小さな花が枯れるように、
気持ちも萎んで、心に影が射した。

けれど――
それでも、今になって思う。
あれでよかったのかもしれないと。

もし、あの日、お礼を伝えることができていたら――
それは、ハクショウとの物語に
ひとつの「終わり」を刻むことになっていたかもしれない。
少なくともレイは、ずっと前から
「それで終わりにしよう」と決めていた。
そして、それが訪れる予感も、確かにあった。

けれど、終わらなかった。
もちろん、彼があえてそうしたとは思わない。
けれど結果として、ハクショウはその「終わり」を許さなかった。

だからこそ、あの日、言葉にならなかった想いが――
今もなお、静かに、そして確かに、つながっている。

そして、今ならわかる。
感謝は、言葉ではなく絆に宿ることもある。
あのとき届かなかった「ありがとう」は、
今も胸の奥であたたかく息をしている。

時が経つほどに、
レイの中でハクショウへの想いは、むしろ深く、強くなっている。

もしまた、ハクショウに会える日が来るなら――
レイはもう、これで「さようなら」というような終わらせ方は選ばない。

伝えたいことはひとつ。
「つながっている」ことの尊さを、
何よりも、守りたいという想い。

ありがとう。
まだ伝えていないけれど、
だからこそ、
今も生きている大切な想い。

運命の死角の中で、
ふたりの物語は、まだ終わらない。

むしろ、ふたりの手で、
本当の続きを描くために――

物語は、
新しいページをそっと開きはじめている。