小学校の授業の時、
担任の先生が、
「将来の夢は何か」
という課題というか調査のようなものを実施した時がある。

周りの生徒達は、スポーツ選手とか医者とか社長とかいう中で、
正直のところ自分には思いつくものがなかった。

ふと、後ろを振り返ると、
当時割と親しくしていたKが、
「平凡なサラリーマン」
と用紙に記入していたので、
自分はそれをパクることにしたのだが、
特段その中身に賛同したわけではなかった。

そもそも、自分の場合は
将来の夢という言葉が、
職業とつながってこない。

というのも、
もし素直に答えるとすれば、
自分にとっての将来の夢は、
「いまのままでいたい」
とか、
「幸福でいたい」
とかそんな感じになってしまう。

でも、それが担任の先生の求める答えでないことくらいはわかるから、
本心を隠して行動するという
いつもの選択肢を取るしかなくなるわけだ。

しかし、なぜ、そうなってしまうかについて考えてみると、
まあ、おそらく自分は、職業意識が低いのである。
たとえ、仕事をしていても、
それは、自分の本質とはどこか違うと思っているし、

学生時代にしても、
その本分は勉学ということのはずなのに、
自分の場合、
それよりも、この連載の第一話で書いた
人生で最初に出会った友人のことが気がかりで、
中古の楽器市の行列に深夜から並んでいたりしたものだ。

とまあ、
いろいろと回りくどい言い訳を書き連ねているが、
端的に言えば、
自分には、子供の時分はおろか
大人になってからも、
「将来の夢」というものがなかったのである。

で、その後の経緯については省略するとして、
果たして今現在はどうかということなのだが、
なんと、この歳になって、
ようやくこんな自分にも、「将来の夢」ができた。

それはなんといったらいいか
例えるなら、はじめて恋人ができたとでも言えるような
鮮烈な輝きである。

自分自身、驚きの心境なのだが、
私の「将来の夢」とは、
それは、
「学生になること」
である!

遠く人生を振り返ると、
学生時代から、ずっと教育関係の仕事についていて、
その後も、長い間、教育職という立場にあったこともあり、
「先生」と呼ばれることにすっかり慣れてしまっていた。

そこで、今一度、学生の立場に戻り、
若い人たちから、年寄りはなんて覚えが悪いのかと罵倒されることも、
経験しておいて良いのでないかと思っている。

もちろん、そうは言っていても
物事に取り組む真剣さにおいては、
彼らに負けるつもりはなく、

最初は低くみられることがあったとしても、
最後には尊敬されながら、
卒業したいという野心は残してのことではある。